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学びと勉強の違い

”世界で大活躍できる13歳の学び(高橋和也)”を昨日の通勤時に読んだ。

行きの通勤電車では読み終わらず、続きが読みたくて駅ビルのカフェでコーヒーを飲みながら最後まで読んだ。腹落ちすることがたくさん書かれていて、すっきりした気分だった。

 

この本に書かれた話のうち記録とメタ認知については今朝書いた通りだけれど、もう一つ、私にとって大事な話である学びと勉強の違いのことも書いておく。

 

高橋さんは、本の中学びと勉強の違いについて以下の3点をあげている。

  1. 学びは自ら仮説を立て、それを検証していくプロセス。勉強は既に正解がある問いに対して自分の記憶をもとに答えをできるだけ早く探す作業
  2. 学びは自分から進んでわからないことに挑戦しようとする自発的な行為。勉強は既に”正解”というゴールがあるため、そこに至る最速のプロセスを探し出すことに全力を注ぐ。
  3. 学びはものや人や事柄と出会い、対話し、他の人の思考や感情との出会いを楽しむ行為。勉強は自分のためにしかしない行為。

 

つまり、学びは自分の頭で考え、自分のわからないことに挑戦し、人と対話しながら答えを探すという行為であり、これが正解のない問題に満ちあふれている現代にはとても大事なスキルだという。学びのスキルを身につけさせるため、高橋さんは色々な仕組みで授業を展開している。

 

しかし、今の日本の小中高校教育は効率よく正解にたどり着く”勉強”に力点が置かれている。そして、勉強ばかりで学びを身につけていない人は、学びを突き詰めた研究をする機関である大学や大学院に進むとに伸び悩む、という。私も、まさに”大学、大学院で伸び悩んだ”勉強のできる学生の一人だった。

 

私は、高校までは教科書をよく読み、比較的”勉強”ができた。パズルやゲーム感覚で正解を出し高得点をとることが好きだった。でも、大学に入ったとたん、何を勉強するのが”正解”なのか指示されないことに戸惑い、何をしたらいいのか途方に暮れた。そして、同じ大学の同級生達が自らの興味があること学び、考え、楽しそうに議論している様子を目の当たりにして、自分は18年間、何をしてきたんだろう、どうして何も考えていなかったのだろうと深く深く落ち込んだ。

こうした”正解を素早く求める勉強はできるけれど自分の頭で考えられない劣等感”は、ずーっと私の中でもやもやと存在し、仕事をしても、子育てをしても、”正解はなんだろう?”と考え、自分の考えを主張できる人を羨ましく思い、そう考える自分がまた自分の劣等感を刺激するというネガティブループに入っていた。

 

この”正解探し”や”自分の頭で考えられない劣等感”のネガティブループが解消され、未熟ながらも自分で考えること、そしてそれを楽しめるようになってきたのは本当につい最近のことだ。

子育てをしたり、仕事での試行錯誤を通じて、ようやく絶対的な正解はないこと、自分で考え、やりきる覚悟を決めて進めることが大事ということが、頭だけでなく気持ちの上でも理解できた。本当に長いトンネルだったなーと思う。

 

そして、自分で考えることが楽しくなったら、それまで劣等感のもとだった受験勉強で覚えた知識や素早く正解にたどりつく検索能力が自分の強みになり、自分の考えと知識が有機的につながり、よりいっそう学びが楽しくなるという相乗効果が出始めた。

 

私は”学び”を身につけるのに四半世紀費やし、本当に長いトンネルだったけど、これも自分にとっては必要な学びのプロセスだったんだろーなと思う。

”世界で大活躍できる13歳の学び”の本は、学びたい大人にもお薦めできる本だ。