朧月夜に”面倒なこと”を考える
今日は中秋の名月。
残念ながら曇り空で朧月夜だけど、ぼんやりした明かりが優しく空に広がる。
今は照明灯が明るくて、月の明かりに気づきにくいけど、昔は月の光が眩しかったんだろうなー。
さて、昨日の”面倒くさい””面倒くさくない”の考えごとの続き。
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面倒ぐさがりには、2種類があるようだということ。”面倒ぐさがり”といっても、この2つは全然違う。
1つは、後から自分が望まないことするのが面倒なので、早めに予防策をとるタイプ。
もう1つは、行動することが面倒くさく、そのまま放置し、問題が大きくなってから対処するタイプ。
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昨日は、面倒くさがりの人に2つのタイプがあるのでは?と書いたけど、人でタイプを分けるというのが、100か0かと極端に分類しているようで、自分の中でしっくりこなくて昨日から考えていた。
自分を振り返って考えても、家の片付けが面倒で放置していたときでも、面倒だけど毎日繰り返していたら、意識せずともできるようになったこともあり、そういう成長による変化が、タイプ分けをすると切り捨てられてしまっているように感じた。
むしろ、行動が必要なときの態度として下記の3種類があって、その合計が全体としてのその人のタイプを決めている、という方が全体を表しているような気がしている。
- 楽々できること
- 面倒だけど、将来もっと面倒になるのが嫌なので予防策をとること
- 面倒だから放置すること
つまり、小さい行動がたくさんあって、その一つ一つの行動を少しずつ変えていけば、全体の印象が変わるということだ。
一つの固まりとしてタイプがあると考えると変えるのにすごく労力がいる気がするけど、塵も積もれば山となる。